こんにちは、みなみです!
この記事は僕が夢を追いかけるきっかけになった野球少年時代のエピソード記事です。
小学2年生から高校3年生までの約10年間青春時代を捧げた野球。
野球を通して、夢が生まれ、夢を追いかけ、夢に挫折し、また夢が生まれました。
野球をしていたからこそ、僕は大人になった今でも夢を追いかけるのだと思います。
やりたくなかった野球
サッカーをやりたい
僕が野球を始めたのは小学2年生の冬休みです。
2才上の兄がいるのですが、兄は野球をしていて、父も少年野球チームでコーチをしていました。
練習の日には母も練習場に言って他の父母の方と応援という名のお茶飲みです。
僕も行きたくないけど、1人留守番させたくないということで毎週末練習場に行っていましたが、ゲームボーイをしてました。
スポーツは好きで、体育も同級生よりもできることが多かったのですが、野球は興味を持てませんでした。
母にみなみもそろそろ何かスポーツを始めたらどうかという提案を受けて、考えた結果サッカーをやりたいと伝えました。
それを伝えると母は、
「お兄ちゃんとお父さんの練習があるからみなみの応援はいけないよ?」
と小2の僕を脅してきましたが、サッカーを始めることにワクワクしている僕は、
「大丈夫!お母さんが見てなくても俺一生懸命練習するね!」
という返答をすれば、母はさらに脅しを強め、
「忙しくてお弁当も作れないかもよ?」
と、さらに脅しを強めてきます。
そんなこと気にしないくらい希望に満ち溢れていた僕は
「おにぎりを自分で作るから大丈夫!おにぎりは何度も作ったことがあるからできる!」
と、全くめげませんでした。めげるどころか母に脅されてるのも気付きませんでした。笑
サンタが僕に野球をやれと言っている
サッカーチームに入る気満々の僕に天気が訪れたのは小学2年生の12月25日。
親の転勤で東京の小学校に1年生の3学期から通っていて、東京で過ごす初めてのクリマスでした。
クリスマス大好きな僕は25日の朝、目が覚めると走ってリビングへ。
サンタさんからもらったプレゼントの包装紙を丁寧はがすと、僕がお願いしてたゾイドが届いていました。
「サンターすげー。なんで俺の欲しいものがわかったんだ」
そんなことを話しながらはしゃいでいると、
3人兄弟のはずが4つ目のプレゼントの存在に気づきます。
「これは誰の?」と母に尋ねると、
「これもみなみのだってよ!」
「よっしゃーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
それはそうだ。
俺は今年1年間、転校しても新しいお友達を作って、運動会も勉強も頑張った。
今年なら2個もらってもおかしくない!
包装紙を開けると、まさかの
バットを持ち運ぶために入れるケースと、ソックスが落ちてこないようにするバンドでした。
父と兄が野球をしていたのですぐにそれが何かわかり、そしてそれが野球チームに入らないと使わないアイテムなこともわかりました。
みなみ少年は絶望しました。
サンタが野球をやれと言っている。
もしこれで野球を始めなければ来年からのプレゼントはどうなるのか…
それを恐れた僕は、サッカーを諦め、やりたくないけど野球を始めるのです。
勝てないチーム。イラつく自分。
初めはやりたくなくて泣きながら練習をしていましたが、チームメイトと仲良くなり、段々と楽しくなってきてき、
再び岩手の小学校に転校してからも変わらず野球を続け、中学に進学しても野球部に入りました。
小学校のチームでは公式戦で1度しか勝てませんでしたが、中学は他の小学校も合わさるので、県内では強豪校として知られていました。
野球部に入部をすると先輩はもちろん、自分より上手な同級生も何人もいて、とにかく一生懸命練習をしていました。
全体の練習が終わっても自主練習をするようになり、350日は自主練習も欠かしていなかったと思います。
段々と成果が現れ、自分のウィークポイントだったバッティングでもチームに貢献ができるようになりましたが、チームは全く勝てず、
あっという間に中学最後の大会が始まり、そしてすぐに終わりました。
最後の大会で2回戦で負け、多くの3年生は泣いていましたが、僕は泣くどころか苛立ちを感じていました。
泣き虫な自分が涙せず、苛立ちと怒りで震えていたのです。
全然努力しなかったくせに負けてから悔しがってるんじゃねー。
勝つために練習しようと言ってもしなかったくせに。
この時も野球は嫌いではないけど、好きではありませんでしたが、高校で野球をすることを決意しました。
今度は強いチームでたくさん勝ちたい。
そして僕は中学校で野球部を引退してからも受験勉強と練習を両立し、県内で野球の強い公立高校に進学します。
努力しすぎて、煙たがられる
入りたかった高校に入学ができ、もちろん野球部に入部します。
盛岡市内を中心に、近隣市町村から同じような考えで高校を選んだチームメイトがたくさんいました。
みんな自分より遥かにうまくて、ここで一生懸命練習して、自分も試合に出て活躍したい。
みんなで甲子園を目指したい!そう思っていました。
入部をして3ヶ月もしなうちに、憧れていた3年生が引退をします。
あんなに上手い、強い先輩たちでも甲子園にいけないんだ。
それならば自分は、自分たちはもっと努力をしなくてはいけないと思い、
3年生が引退したその日から、自主練習を始めます。
初めは全体練習終わりに、300スイングしていたのが、400、500と増えていきました。
同学年のチームメイトにまだまだ実力が及んでいなかったので、とにかく練習するしかなかったからです。
自分たちが2年生になる頃には自主練習で1000スイングするのが日常になっていました。