コラム

南米バックパッカーで運命の出会い【人に夢や希望を与える】

こんにちは、みなみです!

この記事は、僕が【人に夢や希望を与える】という夢を持つきっかけになった、

ペルーとボリビア、約40日のバックパッカーでのエピソード記事です。

ペルーのクスコで出会った旅人裕美さんからもらった言葉で、

起業することを決意します。

僕の大事な人生のターニングポイントです。

ここから全てが始まりました。

プロフィール記事

海外で広がる価値観

僕は大学生の頃にバックパッカーをしていました。

バイトでお金をためて、春休みに1ヶ月程度旅をするのが当時の生きがいでした。

大学1年生の時、初めての海外旅行。

初海外なのにも関わらず、バックパッカーで旅行をしようと思いました。

宿の予約もせず、新たな街についてから宿を探すという、中々攻めた旅行をしていました。笑

初海外で心配だったということと、19歳でまだまだ青春真っ只中だっということで、親友を連れ、デンマーク→ドイツ→チェコ→オーストリア→イタリア→バチカン

の6か国を縦断すると旅でした。

初めての海外ということもあり、新たな価値観や、知らなかった文化、見たことの無い景色と、本当に多くのことを学び、感じました。

旅行中はたくさんの友人ができ、拙い英語で、彼らの国や文化について、そして日本のことを話ました。

様々なことを思考する中で、最も深く考えたのは生きる意味でした。

なぜ旅の中で生きる意味について深く考えるようになったか、

それは…

この旅行の出発2時間後に東日本大震災が発生したからです。

デンマークにつき、一安心して夕食を食べていて、CNNのニュースをみて東日本大震災を知りました。

岩手県出身ということもあり、大きな恐怖を感じました。

「家族や友人は無事なのか…」

当日は電話がつながらず、やっと次の日電話が繋がり家族の安否を確認できましたが、このまま旅を続けていいものかと悩みました。

家族はそのままヨーロッパにいて大丈夫というので、旅を続けることにしましたが、旅の期間は遠い地でも同じように悲しさや辛さを感じていました。

その旅を通しながら僕は生きる意味を考えるようになるのです。

人生を考えるようになる

ヨーロッパの旅は終わり、その旅を思い出しながら感じたことを整理していました。

ヨーロッパの人は日本人よりも愛国心が強く、自分や周りの人をとても大事にしているように感じました。

彼らは旅中に僕や、日本のために涙を流しながら悲しんでくれる人もいました。

僕は日本のために、世界のために何かできるのだろうか?

そんな大それたことを漠然と考えるようになりました。

誰かのために何ができるのか…

大学2年生になり、また春休みがやってきました。

大学2年生は南米1人旅です。行った国はペルーとボリビア。

僕が子供の頃から憧れていたマチュピチュに行くのが最大の目的でした。

ペルーとボリビアでの経験はヨーロッパの旅よりも僕の価値観を大きく広げてくれました。

ペルーとボリビアに住む人の多くは日本人と比較すると、あまり仕事をしません(もちろん個人差かなりあります)。

当時まだ価値観や知見の狭い僕はめちゃくちゃびっくりしました。

ただ、みんな楽しそうに見えました。。

マチュピチュに行くために途中寄った街クスコでは山の上から民族衣装をきて、観光客に自分たちの作ったものを売って生活をしている人がいます。

そのおばちゃんたちに質問されました。

おばちゃん「日本人は毎日朝から晩まで仕事をするんでしょ?なんで?」

僕「…普通仕事するっしょ。生活もあるし、将来のために…。」

僕「逆におばちゃんはもっと一生懸命働いて綺麗なお家住んだり、美味しいご飯食べたくないの?」

おばちゃん「そうなればいいけど、今も生活はできているし、家族がいて幸せだから今のままでいいかな」

かなり衝撃でした。

当時今以上に上昇志向を持ってたし、そもそも日本では全く感じたことのない価値観。

確かに今幸せならいいのかもしれない。

思う反面、この人達は学ぶことや経験することを知っていないかもしれない。

とも思いました。

ただ、間違いなく言えることは、今が幸せってすごく重要だなということです!

自分が望む人生で、もっと言えば望んでいた人生とは少し違っても、

幸せと感じれることは素敵なことだし、これはすべての人がそうなれた方が良いと心から思えます。

キラキラパワーを人に分けてあげて欲しい。

そして僕はペルーのクスコという街で、人生を変えてくれた人との出会いを果たします。

10歳上の日本人女性裕美さんは、世界中を旅している人でした。

気に入った国があれば、長くその国で生活をし、

ひょんなことから大富豪と知り合い、宮殿のようなお家で過ごしていることもあれば、

ストリートチルドレンと仲良くなり路上で野宿もしたり…

期限も決めず、自由気ままに旅をしている裕美さんはまさに旅人。

裕美さんから見せてもらう写真や、旅のエピソードは旅で頭がいっぱいだった当時の僕にとっては最もかっこいい大人の1人でした。

何泊か同じゲストハウスに泊まっていたのですが、ひろみさんが出発する前日の晩に彼女がこんな言葉を僕にくれたのです。

私は世界中旅をしてきて、お金持ちにも会ったし、ストリートチルドレンと寝たり、アフリカの奥地で部族とも生活した。

たくさんの文化、宗教、肌の色が違う人にたくさんあったけど、陽くんはその中でもすっごくキラキラしている。

君はそのキラキラが20才だからじゃなく、おじさんになってもおじいちゃんになってもキラキラできる人だと思う。

そんなにキラキラできる人はいないと思うから、海外でもいいし、日本でもいいから、

キラキラしたくてもできない人、キラキラする方法がわからない人に陽くんのキラキラパワーを分けてあげて欲しいな。

そんな大人になって欲しい。

胸が熱くなりました。

今でもこの言葉を思い出すと胸が熱くなります。

人に夢や希望を与えるために起業を決意

裕美さんにもらった言葉を僕なりに解釈をして、その解釈は自分自身の成長とともに変化はしていくけども、

自主的な経験を多くすることで裕美さんが言ってくれたキラキラパワーが大きくなり、キラキラしたい誰かのきっかけになれるのではないかと思っています。

太陽の陽でみなみ。

両親が太陽のように明るく元気な子になって欲しいという願いを込めてくれました。

太陽のように誰かを照らして、元気にできるようなそんな存在になることを目指して、人生の中で自分を研鑚していきたいです。